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無農薬栽培

無農薬栽培という言葉を最初に聞いたとき、せっかく有機農業で足並みが揃いそうなのに、まだ早すぎる、やめてくれと思った。あまりにも現実とかけ離れていて消費者が混乱するだけ。何を信じてよいかわからなくなってしまうと思った。
しかし調べれば調べるほど、これが最終結論であり、もっともわかりやすいということに気が付いてしまう。
もはやいうまでもないが、食の「安全」と「安心」は違う。「安全」は化学的な立場で、人体に影響がないかどうかを担保するもの。
しっかりとした化学者の見解は一致している。現在メディアは残留農薬などの問題に過剰に反応しすぎている。基準値の何倍の農薬が検出された、という報道によって一斉撤去、廃棄されるのが国内の常識になっているが、ほとんどは全く人体に影響がない。そもそもの基準値がかなり厳しい値が設定されているからだ。仮に基準値の何倍という値が検出されようとも、大量に毎日摂取しない限りは全く人体に影響がない。中国のメタミドボスは残留農薬ではなく人為的に混入されたものであり、残留農薬がここまで残ることはありえない。
有機農業に関しても、天然成分由来だから問題ないというのはなんの意味も持たない。天然成分は何が含まれているのかわからないため、むしろ人為的に作られた無機化合物の農薬のほうが安全だという意見もある。また土壌の窒素汚染による環境への悪影響も叫ばれるようになった。

ついでにいえば、最近はビタミンCやビタミンEが体にいい、抗酸化作用でがんを防止するとか、食べ合わせによって効果が倍増するだとかいろいろ言われているが、それすらも疑わしい。ビタミンCやビタミンEを多くとっているほうが発がん性が高くなるという報告も相次いでいる。その他国内では特定保健用食品として効能がうたわれているが、海外の評価と国内の評価は大きな開きがあり、付加価値をつけて利潤を得ようとする企業に消費者はだまされ、振り回されているのが現状だ。
化学的な立場からは、結局のところ残留農薬が含まれていようがいなかろうが、天然成分だろうが化合物だろうが、有機農業だろうがGM作物だろうが、すべての食物には危険性があるので、リスクを分散するためにいろいろなものを食べることが望ましいという結論に至る。同じものを大量に食べることがもっとも危険で、多種多様なものを食べていれば自浄作用によってリスクを避けることができるというものだ。
しかし、消費者全てに、残留農薬の基準値がどのように設定されているのか、などの専門的な知識を理解させるのはまず不可能といっていい。さらにいえば、化学的な背景を理解して「安全」ということが分かったとしても、「安心」といえるのだろうか。

ところが「無農薬」ということになると、状況は一変する。難しい化学的な話を考えることもなく、たとえ天然のものにも危険性があるということを知っていたとしても、「灰汁抜きをしっかりする」とか「大量に食べない」という程度の話で、いとも簡単に「安心」が手に入る。じゃあ全部無農薬栽培にすればいいじゃん、と思うけど、そうはいかない。無農薬栽培は根底的に違っていて、「自然をコントロールするのではなく、生態系を壊さずに作物の成長を助ける」ということ。結局人間は自然をコントロールできない、複雑に絡み合った天然の化合物は全ての作用を解明できない、農薬を使って害虫を殺す、栄養分を与えるという自然の生態系に働きかける行為そのものが間違っている、というところまでいってしまう。この考え方は資本主義経済、市場経済にはとてもなじみにくい。結局昨今いわれているさまざまな難しい話は有機農業による市場主義を正当化するためのものでしかない気がしてくる。

その無農薬栽培の考え方のほうがいろいろな問題が解決するのは誰にでもわかることだ。結局文明によって繁栄し、文明によって滅びてしまうのは人類の宿命なのかとまで考えてしまう。culture、cultivate、つまり「栽培する」という概念自体が間違っているとしたら、もう2000年近く間違った方向に進んでいることになる。無農薬農業は「安心」を得るもっとも明快な解決策である反面、究極の結論に至ってしまってどうしたらよいのかわからない。とにかく今はみんなが共通の認識に立てるように・・・それが有機農業を経由するのは遠回りで無駄な気がするが、やはり段階を踏まないといけないのだろうか。それとも有機栽培で生産者と消費者が近くなれば、「安心」ということでいいのだろうか。一方で、化学的な見地はとても重要だと思う。感情論で帰農を訴えたり、地産地消を訴えるよりも理論的で、確実に前進していく気がする。やはり全ての情報をわかりやすくテーブルの上に並べないと何もはじまらないと改めて思った。

儲かる農業

日経ビジネスの特集「儲かる農業~『家業』から『産業』への3つの条件」を読んで。
不況不況とあおる中、最近この手の記事、話題がとりあげられることが多くなってきてる。
破滅しそうな日本の農業を救うのは産業(企業)化!資本だ!
農業はうまくやれば儲かるんだ!
という論調。実際にしっかり売上をあげている企業もあるらしい。最近のこの手の記事の内容はほぼ同じ。

「今の農業の衰退は市場を無視してのんびり作っていたのがいけない」
「需要に対して安定した供給量を確保できないとビジネスとして成り立たない」
「外国産の安い輸入食材に太刀打ちできない、とにかく儲からない」
・・・「だから若者が農業に魅力を感じられず、農業が衰退していくのだ」

だって。
日経が書く記事だから当たり前だが、この農業の危機を本当に資本にゆだねてしまっていいのか。

昔からある農家を死滅させ土地を集約。アメリカ式の大規模な農業経営で大量生産し、単位面積あたりのコストを下げて外国産の低価格作物に負けない農業をやる・・・今の政治、経済の世界から見た農業回復へのシナリオは大雑把にいえばそんなところだ。しかしこれは全くもって経済的な観点でしか見てない。

さらに進む格差社会。工場で大量生産された食物をわれわれは体に流し込み、企業がいう「安全・安心」を信じて生きていくしかない食生活。いつまた起こるかもしれない虚偽表示、偽装問題。日本の伝統は、旬は、そして「心」は。真の「豊かさ」とは経済的豊かさではないことはすでに誰もが知っているはずなのにいまごろ何を言っているのか。一度そこへいってしまったら後戻りは容易ではない。もう十分分かっているはずなのに唯一残されていた農業で同じことをやろうとしている。